賢者と魔女

全てのことが知りたかった。知識ならば、何でも。
天文学でも医学でも文学でも、全てのことが。

書物を読み漁り、手で触り、身に刻み。
そして知る。

『全てを知ることなどできない』と。

私は絶望した。
幾日もの夜を超えて、幾千もの事柄を叩き込もうとも、
私の知識は、例えるなら、
大海の広さに比べれば
額に浮かぶ汗も同じだと。

そんな折、ある噂を聞いた。
――｜全知《ぜんち》の魔女がいる――
この世のあらゆる事を知り尽くした『魔女』

私は彼女に会いたかった。

西に、東に、私は旅をした。
海を越え、山を越え、私は彷徨った。

そして、見つけた。
奥深い森の中、ひっそりと、ただ一人で。
美しい女性だった。

――私はあなたに会いたかった。どうか私に全てを教えていただきたい。私は全てを知りたい――

『魔女』は微笑んで言った。

――えぇ、いいでしょう。私も『魔女』と呼ばれて長い時間が経ちました。そろそろ、挿げ替えの頃合いです――

彼女は不意に私と唇を重ねる。その瞬間に、
頭の中に大量の『知識』が流れ込んできた。
それは突風が吹きつけたような、時間をごちゃまぜに、
色々な風景を見せられているような、
何とも言えぬ一時だった。

――ですがこの世に『絶対』というものはありません。あなたはひとつ、忘れるのです――

構わないと思った。忘れたならば、また知ればよい。

――ふふ。では、あなたは今から『賢者』と名乗りなさい。短い時でしたが、これにて。さようなら――

全てを知る。頭の中がくらくらした。これで、私は、夢に大きく近づいた。

だが、そう、一つだけ、忘れてしまった。
『魔女』。
彼女が居たこと、彼女の言葉、それは覚えている。
だが、彼女がどんなに愛らしく笑い、どんなに澄んだ声で話し、
彼女が唇を交わす前に名乗った彼女の本当の名前を、

どうしても、
思い出せはしなかった。

まるで呪いのように。
ぽっかりと心に大穴が開いてしまった。

ライトーンならオーディオブックを聴ける。つくれる。

ライトーンなら
オーディオブックを聴ける。つくれる。